【心霊写真】●心霊写真とは、気味の悪い人の顔が写っている写真、体の一部が写っている写真、体の一部が消えている写真、不思議な物体が写っている写真などですが、その他、常識では考えられない写真はすべて心霊写真だと考えられます。 【スポンサード リンク】 心霊写真を撮ってしまったら●多くは、地縛霊などが写ったものだと考えられていますが、こういった心霊写真を持っている人には災いがふりかかることが多いと言われています。そのため、心霊写真を撮ってしまった時には、写真に写っている霊の善悪を見分けることができ、偽者と本物の見分けをつけることができる霊能者や宗教家などに相談し、お祓いをしてもらうとよいとされます。これをしないで放っておくと災いが降りかかる・・・というより、撮影した本人が精神的に参ってしまう可能性があります。役所に除霊申請書があればともかく、得体の知れない相手に対して気持ちを一区切りさせるには、“きちんとした”形式も必要です。 これからが季節 夏本番の心霊写真とっても怖かった心霊写真特集●これから夏本番ですが、心霊写真の季節といっても過言ではないでしょうか?とくにテレビ等での番組では多数増えていき稲川淳二や桜金造などの霊感芸能人が活躍するでしょう。その昔、日本テレビの番組で「あなたの知らない世界」という番組がヒットしましたが、そこでも多数の心霊写真が紹介されていました。振り返ると、子供心にすごく怖かった記憶がまざまざとよみがえります。あの番組は投稿者の体験を基に番組を作り放送しますが、中にはわざわざ現地にまで飛んでその霊体験のあった場所をリポートする、迫力満点のエピソードまでありました。特に心霊写真に関しては霊能者に鑑定させ投稿者と電話をつなぎ今後この写真をどうすればよいのか、災いが降りかからないようにするにはどうすればよいのかと言うアドバイスをしていたと思います。しかし、いち視聴者の立場からするとそれよりも大事な事がありました。 心霊写真が夏本番の理由●ふつう夏は暑いので、いかに涼しく快適に過ごすかを、ふつう考えますよね。身体を冷やす方法としてはクーラーや扇風機などが一般的ですが、心身ともに冷え冷えしたいときには、心のクーラーとして怪談話、とくに心霊写真は最適のソリューションのひとつです。私にも経験がありますが、心霊写真や心霊特集の番組を観たあとは必ず背中の辺りがゾクゾクしてきて、寒いといいますうすら寒いといいますか、少なくても厚さを一瞬にせよ忘れさることができます。怖い→涼しいというメカニズムは古今東西変わることはなく、江戸時代の怪談話に範を求めるまでもなく、万国共通、人類に普遍的に備わる夏の知恵なのかも知れません。これからの季節は汗だくだくで、過ごしにくい季節が続きますが、寝苦しい夜のひとときの涼に、心霊写真を見て“快適”にすごされてはいかがでしょうか?ただし本物の心霊写真もあるでしょうから、くれぐれも見過ぎ、念じすぎで災いが降りかからないことを祈ります。また、面白半分に心霊スポットに行くのもあまりおすすめできません。自分の身に災いが降りかかっては涼しさどころではありませんし、年中取り憑かれてしまったら冬が大変です。 心霊写真を科学的に考えてみると心霊写真は何を写したもの?●私たち人間は、自分の目に見えて、体に触れ、耳に聞こえ、舌で味わえるものしか感じられません。たとえば、電磁波を感じることが出きる人はいません。でも、実際にテレビの放送が見られるということは、みなさんの周りをこうした電磁波が飛び回っているからです。いろいろなものが混じり合っているのが現実の世界なのです。その中でごくまれに、限られたものだけを感じることができます。幽霊の姿は可視光線の領域にないのです。それを考えると普通は肉眼では見えないことも納得できます。写真は撮影する光の領域が広いので、霊の放出する波動(光)や念などの領域と光の領域が一致する場合があります。これが撮影をした際に幽霊が写る理由だと思われます。この現実の世界にあるものすべては固有の振動を持って存在しています。光以上に波長が小さいものにもX線とか赤外線などがありますし、その上にも、何かがあるわけです。私たちの科学で解明されてないものがあるわけですね。まだ証明することが出来ないだけですが、そうした未知の部分に霊の領域があると考えることもできます。 心霊写真の科学性●霊という“存在”がもしあるとしたら、非物質の領域、つまりエネルギーの次元だと考えられないでしょうか? 電波と光、そしてX線、赤外線、紫外線は、みな波長が違うだけで、どれも物質と波の両方の特性を併せ持っています。つまり、エネルギー波として空間を伝搬し、しかるべき受容装置、器具、器官、例えばフィルムやCCDや受信機、そして網膜に到達して初めてその存在が分かるという性質のものです。言い換えれば、受容できないエネルギー波は存在していないも同然と言うことです。もし、世界中のどんな高性能なカメラや受信機でもキャッチできないエネルギー波があったとして、誰がその存在をあまねく証明できるというのでしょう。科学的証明とは、いつ誰がどこで見ても、誰がやっても、同じ現象が起きる、起こすことができることです。存在を検出する手段がないものの存在の「ある」「なし」を論じることは、科学ではなくオカルトやファンタジーに類するものと言えます。 心霊写真を作り上げる“光”●それでも、鮮明に写った心霊写真を前にして、それがトリックではないと認めざるを得ないとしたら、それが心霊現象かどうかは別としても、そこにある「何か」を完全に否定することは難しいのではないでしょうか。その心霊写真は間違いなく目の前に存在するのですから。信じたくない、認めたくないというのが本心だとしても、写真はフィルム、古くは感光板、つまり、光を放つと感光する性質を持った材料を暗い状態に保っておき、カメラでシャッターボタンを押すことでその方向の光だけを感光させることで影像を捉えます。デジカメも似たようなもので、フィルムの代わりに撮像素子(CCDなど)を使う点が違うだけです。私たちの感覚では、目に見えるものが感光しているすべて、と思いがちですが、実際にはそれだけではありません。たとえば、レントゲン写真などを見ればわかりますが、X線写真などの放射線も、私たちの目には見えませんが感光はしています。感光版に感光できるものは可視光線以外にも結構あります。肉眼では見えないけれど、フィルムやCCDでは捉えることができる“何か”。それが心霊写真と呼ばれるものではないでしょうか。 心霊写真とは写した人の心の姿?●人間の脳は物質であり実体ですが、心や思考、精神は物質ではありません。それでは、脳は存在するが、心や精神は存在しないのでしょうか?前述のとおり、光も電波も、エネルギーを伝搬する波として空間を満たしていても、それを受容(キャッチ)するメカニズムがなければ、存在しないも同然のです。それがそもそもエネルギーというものですから。脳の中では、無数の電磁波(光)が神経回路を行き来しており、それら“信号”が脳内で整理統合され、言語や思考、精神を形作ります。しかし、形作られた精神や心の存在を知る手段は、声(空気の振動)、文字や影像(光)のどちらかでしかありませんし、単なる空気の振動や光(と影)を精神として受容できるのは、人間でしかありません。もし、霊がなんらかのエネルギーだとしても、それをキャッチして“再構成”する存在、つまり人間がいなければ、意味のある姿形にはならないのではないでしょうか。感光版やCCDにもとより精神や心はありません。もし、空間に漂う何らかのエネルギーが、何らかの意味ある像を結ぶとしたら、それは人間というTV受信機が“再構成あるいは再現”しているからではないでしょうか。つまり、心霊写真とはカメラのシャッターを押した人間が、作り上げた“念写”のようなもので、そのエネルギーの直接の発生源は、そこら辺を漂うエネルギー波ではなく、シャッターを押した本人ではないのでしょうか。そうでなければ、誰が撮影しても同じものが映るはずだし、カメラ屋に出したプリントも、TV中継も、日常茶飯事に心霊写真のはずです。ただ、もし仮にそうだとしても、大きな疑問が二つ残ります。ひとつは念写という増幅・転写のメカニズム、そして、ひとつは念写(増幅)する前のオリジナルエネルギーの存在。いずれにせよ、一枚の心霊写真が、何か未知のメカニズムの存在を示していないと、断言することはできないと思うのですが。 【スポンサード リンク】 |